
今年の全国大会2026 では、あえてAI に聞いてもまともな答えが出なそうなこの問いを、ヒトであるわたしたちが考え、ヒトだからこそ導ける解を模索する。そういう機会にしようと思いました。
ちなみに「子育てのゴールってなに?」と、ChatGPT に入れてみました。
『多くの親や教育者が共通して目指しているのは、「親がいなくても、自分の人生を生きていける大人になること」だと思います。』
返ってきた答えは、きわめて納得感があり、その理由や背景説明も、わたしが想像していたよりもちゃんとしていて、現実を反映したものでした。さらにこんな提案もくれました。
『「立派な人に育てること」と「幸せに生きられる人に育てること」のどちらをイメージしているのかで、答えはかなり変わってきます。』
とても本質的なテーゼを投げてきました。わたしは思わず「気が合うねー!」と親近感さえ抱きます。このテーマに関して、Chat GPT は、本質を見抜いた答えを返し、さらに突っ込んだ提案さえしてきました。さらにその中身には、「居場所感」や「困ったら助けを求めることができる」など、アタッチメント理論を背景にした内容も含まれており、実にわたし好みのものでした。
これなら、「育児セラピストじゃないの?」とさえ一瞬思えるほどに満足のいく一切隙のない回答だったのです。
しかし、どうにもシックリきません。実際の社会では、以上終了!問題解決!とは到底なりません。
Chat GPT の答えには、「正しいのはわかっちゃいるけど、納得できない」
「本当にそうするには不安がある」
「まわりと足並みをそろえた方が安心だ」
「そう理解しようとしても、どうしてもそう思えない」
といった人間特有の葛藤や思考のクセ、理屈と感情の不一致などが織り込まれていません。
正解が何なのかは、みんながわかっています。Chat GPT は、それを明快に言語化してくれます。しかし、そこには、現実への寄り添いがない。だから「そのことは、わかっているよ!」という感覚と、「だけどね・・・」と軽く反論したくなる気分が残るのです。言っていることが正しいだけに、余計にモヤモヤするのです。
人間は、理屈では割り切れない感情や思考のクセを発揮して、自己都合でモノゴトを解釈します。親はときに「子どものためだから」と称して、誤っているとわかっていても、その行動に向かってしまうことがあります。
そうした「人間らしさ」を理解し、共感し、織り込んだうえで、それでも本質を伝え、体験をとおして感じてもらい、理論をもって納得してもらうことこそが、育児セラピストの役割です。
A さん、B さん、C さん・・それぞれに理解のしかたが違うし、納得までのプロセスも違う。けれども、アタッチメントという着地点は同じ。そういうときに、それぞれの人に寄り添いながらそこへ向かいます。
そうしたときに、Chat GPT が掲げた言葉の本質が、はじめて腹に落ちるのです。その体験をとおして、人間の行動は変わり、社会の価値が書き換わります。

親がもつ虚栄心や、承認欲求、うらやましいと思われたい気持ち、子どもで自己満足を得ようとするズルさ・・・誰しも、そうした本来は誤った心を内に隠して、子育てをしています。親は、子どもに不利益になるという事実を、「子どものためだから」という大義名分で覆い隠します。そして、多くの親は、子どもが大人になった時に、そのことに気づかされ、心の奥で後悔します。今回は、「子育てのゴールってなに?」という問いを起点に、そうした親の本音に正面から向き合おうと思います。

こうした気持ちは、かく言うわたしも、わたしの妻も、子育てをしているときに大いに持っていましたし、誤った行動もしてきました。
親だって人間です。Chat GPT が推奨するような完璧な存在などではあり得ません。
親だって間違えます。すべての親は、間違えながら、子育てをしています。間違うことそのものには、大きな弊害はありません。間違っていると気づきながら、「子どものためだから」という伝家の宝刀を抜いてしまうことが弊害なのです。大事なのは「わかっちゃいるけど、そうできなくてゴメンね。」と認めることです。
それができれば、子育てにおいて、Chat GPT が提案する理想的世界観は、充分に実現することができます。育児セラピストが、親をそこへ導く存在になるためには、どうすればよいのか、何ができるのか、について今回は「人間の立場から」、みなさんとともに考えてみようと思います。
今年は、前々回の座談会で、わたしが対談させていただいた精神科医「さわ先生」にお越しいただくことが決まりました。対談をしてから、今年の全国大会は、ぜひ、さわ先生を呼ぼうと決めていたので、その願いが実現して、わたし自身とてもワクワクしています。

精神科医だって、ひとりの母親です。親として迷うし、悩むし、間違えもします。そういう人間らしさをさらけ出して本音で語れる専門家は、そうはいません。そんな稀有な専門家が「さわ先生」だと、わたしは思っています。

開業医の父の家に生まれ、教育熱心な母のもとに育てられ、つねに優等生であることを求められてきた彼女が医師を目指し、最終的に選んだのは、なんと精神科医。そのプロセスには、さまざまな困難や葛藤、挫折があったことでしょう。晴れて医師となり、母となってからは、わが子の発達障がいに、精神科医として、母として向き合う毎日。そんな「さわ先生」だからこそ語れること、伝えられることがあります。講演テーマは・・・
「子どもが本当に思っていること~発達ユニークというとらえ方~」
親は、大人の目線で思考し、語り、子育てをします。親は大人なんだから、そんなことはあたりまえでしょうか?子どもの身になって思考し、語り、子育てすることは、それほど難しいことなのでしょうか?

心理学の知見から言うと、これは、大変難しいことだと言えます。なぜなら、親はすでに大人の脳になってしまっているからです。大人の脳は、前頭葉が優位に働きます。だから理性的で論理的、合理的です。さらに、これまでの経験の積み重ねによって、結果の推論をおこないます。心理学はこれを「思考のクセ」とか、「人生シナリオ」とか、「認知バイアス」と言ったりもします。つまり、大人はみな(個人差はあれど)、思考が凝り固まっているのです。ある意味で大人の脳は、完成していると言えますが、同時に伸びしろを失っているとも言えます。

こうした特徴は、子どもの脳にはみられません。子どもは、前頭葉(人間脳)が未発達な分、感覚脳(動物脳)が優位です。だから自由だし、不合理だし、非論理的です。心理学者ピアジェは、子どもがどのようにして感覚優位の世界から、論理性を獲得するのかという視点で発達をとらえ、認知発達論を唱えました。
子どもの特徴的な行動を、大人は問題行動と言います。子どもの脳の視点で言えば、別の文脈が立ち上がります。
「夜泣き」は、おっぱいの主である母親と関係性を深めようとする行動です。「後追い」は、母親を個として発見し、自我がめばえた結果起こる発達に欠かせないプロセスです。どちらも大事なアタッチメント行動です。「じぶんで!」といって、なんでも自分でやろうとして、時間がかかったり、うまく出来なかったりして親を困らせますが、これは自主性がめばえ、好奇心・探求心・モチベーションを育てる発達行動です。「多動」は、すべての子どもの特徴であり、エネルギーの象徴であり、発達行動のための源泉です。これを抑えてしまうのは、発達を邪魔する行為です。「みんなと同じことができない」のは、本来すべての子どもがもっている特徴で、好奇心と探求心の表現と集中力の表れです。自制心の育ちとともに、やがておさまります。「試し行動」は、他者との関係性における距離感を測る練習です。怒られたり、嫌がられたりして、でも最後には悪い自分も受け入れてもらえるとわかった時に、おさまります。もし、試し行動が続くなら、それは、さみしいよ、もっと一緒にいたいよ、かまって欲しいよ、愛して欲しいよ、という子どもからのSOSであり、アタッチメント行動が満たされていないことを意味します。

何が言いたいのかというと、大人が認知している「子どもの行動」は、大人の脳で思考したものであって、子どもの真実を表わしていないということです。たとえば、発達障害の児童の特徴的な行動に対して、先生が「教師をバカにしている」とか「なめくさっている」と悪意を読み取って、そこに怒りが生じたり、強く叱って矯正しようとしたりすることがあります。こうした事例では、大人の認知と子どもの行動の本質のあいだで、乖離が起きています。こうした大人の態度は、子どもの心を傷つけ、自尊心を奪い、成長を阻み、ときに発達を逆回転(心理学で退行といいます)させたりもします。
わたしたち大人が、子どもの行動を考えるとき、子どもの脳の立場に立って思考できれば良いだけのことです。しかし、これはそう簡単なことではありません。なにせ、大人と子供では、脳機能の働きそのものが違うのです。大人は、子どもの行動原理を想像することすら、できないのです。そこに解決策はあるのでしょうか?

方法は、ひとつだけあります。答えは、毎度同じです。「子どもの行動原理の本質を、『知識』として身につける」
知識として知ることは、ものごとの解釈を変え、人の行動を変えます。大人の脳に、ふたたび伸びしろを与えてくれます。行動が変わると、結果が変わります。子どものある行動を、知識として「そういうものだ」と無理やりにでも、たとえ納得できていなくても、子どもの文脈を前提に行動したとします。すると子どもは、こちらが思っている以上に好ましい反応や行動をしめしてくれます。自分の真意が伝わったのだから、当たり前のことです。すると、大人の側も「これはうまくいく!」という実感を持ちます。同時に子どもの側も「この人はわかってくれる」と希望を持ちます。このように、捉え方を変えることで起こる思考と行動の変容を、心理学では「認知の再構築」と言います。こうした体験を重ねていくうちに、大人と子ども双方に、新しい認知が形成されます。これが、唯一の解決策です。
知識だけでは、人(大人)は変わらないと、わたしたちは思いがちです。しかし、知識を得た人は、言動や行動がかわり、その先の体験そのものが変わります。体験が変われば、人は変わります。それが、認知の再構築のメカニズムです。
さわ先生の講演テーマである「子どもが本当に思っていること」というのは、まさにここまでお話ししてきた「子どもの行動原理の本質を、『知識』として身につける」ことと同義語です。大人が、この知識を知ったとき、子育ては変わり、子どもの育ちは加速します。すべての子どもが本来持っている「発達のベクトル」が加速することは、親のよろこびであり、幸せでもあります。
大人の脳のままでいつづける代わりに、子どもの脳を知識としてインストールしてみましょう。その先には、想像もできなかった世界が広がっているはずです。今回のさわ先生の講演は、みなさんにとって、そんな世界の“はじめの一歩”になると思います。ぜひお楽しみに!


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今年も、毎度同じことを繰り返しお伝えさせていただきます。
実践報告には、いつも報告者の視点で紡がれた物語があります。その物語には、さまざまな登場人物が描かれ、出来事やアクシデントをとおして、最終的に主人公が成長します。そうした報告者の発表を聴く機会が、優秀実践発表です。これは皆さんにとって、脳への刺激であり、発想の転換であり、モチベーションの源泉となります。
同時に、実践報告は、みなさん一人ひとりが「これまでしてきた実践を言葉にして振り返る」機会でもあります。この「言葉にして振り返る」という作業は、これから迎える「AI時代」において、とても重要な能力を開発してくれます。これからのAI時代のカギとなる「言語化能力」が開発されるからです。
さらに実践報告をした人が、優秀実践者の発表を聞くのと、してない人が聞くのとでは、起こる事実が全く違います。両者の間では、その脳内で起こっている反応の次元が全く異なるのです。
発表者の物語は、聞き手により深く、よりリアルに、より実用的に伝わり、それを自分事に置き換えて解釈することができます。そのため、よりダイナミックな体験となり、大きな学びと刺激と発想を受けることになります。
同じインプットが行われても、受け手によってそのアウトプットは全く異なるのが、われわれの脳の特性です。この事実は、「AI時代」においては、もっと加速することでしょう。
これまでの活動の区切りや振り返りとして、そして、これからの展望を描くため、「実践報告すること」は、この上ない価値を創出してくれます。言葉にしてまとめた時点で、大きな意味が立ち現れます。
さらに、優秀実践者として、それを発表することで大勢の人にアウトプットする機会を得ると、何かのスイッチが入ったかのように、自分のまわりの状況が動き始め、必要な情報が入ってきたり、必要な人と出会ったりします。
これは、社会学者ロバート・キング・マートンの言う“セレンディピティ”や、心理学者カール・グスタフ・ユングの言う“シンクロニシティ”に外なりません。実践報告には、そんな奥深い世界観が確かに存在します。これまでの発表者をみてきて、これは、はっきりと断言できます。
実践報告をしたことのない人は、ぜひ今年やってみてください。書くだけで、すでに大きなものが得られます。いまやっていることの価値が実感できます。そして、次にどこに進みたいのかという展望が見えてくることと思います。
実践報告をしたことのある方は、“その後”をつづってみてください。物語のつづきです。すると、自分が確実に前に進んでいることが実感できます。点と点は線でつながり、明確な展望が浮かび上がります。それは、あなたの人生を豊かにしてくれます。
これをやらない手は、ありません
今年はぜひ、実践報告の段階からご参加ください。
毎年恒例のランチを介した「おしゃべり会」です。いっしょに学んだ仲間との再会であり、新しい仲間との出会いでもあります。お互いの近況や、いま取り組んでいることなどを自由に話し、交流することで、その後につながる関係性が生まれます。
そもそも、全国大会は、講座を修了された方たちが再び集い、しゃべり、刺激を受け、つながり合い、新しい関係をつくるための場です。たまたま、同じグループになった人は、そうなる縁でつながっている人です。何かしら意味があります。ランチ交流会は、その入り口です。じつは、そのあとにおこなわれる「お悩みスーパーバイズ」につながる導入の役割も担っています。

「お悩みスーパーバイズ」では、お互いの悩みに向き合います。全国大会のように、同じ思い、同じ志をもって、同じ学びを共有している仲間同士が集う場だからこそ、“安心安全の場”が形成されます。
そのような場で、悩みを他者に打ち明ける、他者の悩みを聞く。いろんな人の考え方や捉え方に触れる。それは、人によって、刺激であったり、新たな気づきや解決であったり、あるいはセラピーになったりします。
じつはこれ、アタッチメント理論に基づく心理療法として近年注目されている「メンタライジング」という心理セラピーで起こる作用そのものなのです。
ある人は、刺激をもらうことで、なえかけていたモチベーションに再び火が付くかもしれません。やりあぐねていたことの解決策を得る人がいるかもしれません。気落ちしていた心が、癒されるかもしれません。同じように悩んでいる人に出会い、「自分だけじゃなかった」と背中を押されるかもしれません。
わたしは、ここで、スーパーバイザーの役を、毎年させていただくことで、みなさんとの関係性を深め、先の展望を持たせてもらい、明日への活力をいただいております。同時に、参加者のみなさんにとっても、そのような時間となっていると願っております。
わたしにとって、みなさんと直接お話しできる機会は、いくつかの講座と、この全国大会だけです。
いつもいらしてくださる常連の方々の近況を、今年もお聞きしたいです。
そして、まだお会いしたことのない方のお話しを聞きたいです。
みなさんの悩みや課題を、わたしにも、いっしょに向き合わせてください!
